純粋を笑うなかれ

こんばんわ
ささもっちゃんです。

今日私は心から楽しい時間をすごしました。


今のはきっとシンバルのこの位置を叩いた音だなぁ。
これだとギターとベースが大きくても
きちんと存在感が出て
しかも高揚感がでるんだなあ。
フィルの途中のこの手順でシンバルを入れると
盛り上がるんだなあ。

ああこのギターのメロディーがここで入ってくると
チャーミングだなあ

気象衛星帰って来い
みたいな詩は
なんだか小さいときに夢でみたような気がする。

この詩にコードの運びは涙がでてしまうな

もうたまんないなあ
もうたまんないなぁ


なかなかライブにいけないから
全身で楽しもうって思っていたし
本当に楽しかったです。

たまらなくてたまらなかったです。

音もだけれど
全てが音に集約されている感じが好きです。
子どものようにステージで体いっぱいに感情を表現しています。

でもそれは子どもとは違う。
子どもは自分勝手と純粋が入り混じってるけれど

ステージで表現されているのは
純粋だけが抽出されたものです。

それは大人の包容力を兼ね備えていないと出来る業じゃないです。
子どもがステージで暴れている姿が人の心を撃つはずもないからです。


日常において
純粋を笑う人もたくさんいます。
つけこむ人もいます。
純粋をねたんで
いじわるする人もいます。

だから純粋でいることはとても危険で
傷つくこともたくさんあります。

それでもやはり私は
純粋な心がやっぱり必要だと思う。

本当に自分が一人になったと感じたとき
とても大きな喪失感を感じたとき。
何もできないくらいに傷ついたとき。


純粋な心はやさしく包み込んでくれるし
生きる方向へと導いてくれるから。


ずるいことに、そこから元気になると
またつけこんだりする人もいるし
自分もまたそうなりかねないです


だから日ごろからちゃんと正しく進めているか確認が必要だと思います。


日ごろからの人を思う気持ちや包み込むやさしさが
ステージや音に全て表れる気がしてなりません。


そういう意味で
私は全てがステージに集約されて
それでいて純粋なものに惹かれます。